毒親でなく、ヘリコプター・ペアレントではなく、手放す母親になるために。

毒親は、子供を不幸にする親になります。

ヘリコプター・ペアレントも、子供を不幸にする親になります。

私たちが、目指すのは、すべてを手放すお母さん、母親なのです。

 

毒親、ヘリコプター・ペアレントを超越して・・

 

毒になる親(どくになるおや、: toxic parents)は、毒親(どくおや)と略し、と比喩されるような悪影響を子供に及ぼす、子どもが厄介と感じるような親を指す俗的概念である。1989年にスーザン・フォワード(: Susan Forward)が作った言葉である[1]。学術用語ではない。の場合は毒母毒ママ[2]の場合は毒父[3]等と称されている。スーザン・フォワードは「子どもの人生を支配し、子どもに害悪を及ぼす親」を指す言葉として用いた。「毒親」に関する議論は、親の「自己愛」問題が主な共通点であり、自己愛的な親英語版について語られることが多い[4]。主に母親が対象として取り上げられる[4]。毒親に育てられたと考える人が、自らを毒親育ちと称することもある。

2008年から自己愛の強い母親とそれに苦しむ子供の問題に関する書籍が増え[4]、日本では2015年時点で毒親という言葉は一種のブームになっており、ひどい親によって被害を受け苦労した体験を語ったという本・漫画等が毒親本毒親ものと呼ばれるジャンルを形成している[5]。ブームの一方、言葉が独り歩きしている、悪影響がある等の批判もある[6]

出典 ウィキペディア 毒親

 

ヘリコプター・ペアレントとは、

過保護な。必要以上に子供の世話を焼きたがる親の行動を、上空から常に監視し、何かあるとすぐに急降下してくるヘリコプターにたとえた語。

出典 コトバンク ヘリコプター・ペアレント

 

私は、常々、子育てや子供の教育は、崇高な仕事である・・と思っていますので、

上記の、毒親やヘリコプター・ペアレントという言葉や概念などもチェックしています。

やはり、お母さんのやりすぎ、欲が多いこと、加減を知らないことなど、

特に、所有欲が多いと、毒親やヘリコプターペアレントになってしまいがちです。

お母さんがあまりにも、熱が入りすぎる教育ママゴンだと、こうなってしまいます。

大事なことは、中庸を大事にした、すべてを手放した、手離したお母さんであることです。

このあたりの、心の調和、さじ加減、中庸など、お母さん、親の在り方を

微調整することの必要性を感じます。

普通の方が、簡単にできることは、手放すことです。

子供のありのまま、あるがままを認めることです。

そして、静かに、そっと、子供を見守ることだと思っています。

静かに、そっと見守るお母さんになるためには、

お母さん自身が、自分の欲望を捨てて、平和になり、

お母さん、自分自身を信頼して、自分の中で静かにしていることです。

これは、ある程度、年齢が経過しているか、ある程度達観していないと、

まだまだ、お母さん自身があれもしたい、これもしたいと

自分に満足していないとできないのかもしれません。

子供を幸せにしたいのなら、お母さんがすべてを手放すことが

大事だと考えています。そして、私自身、実践しています。

お母さんは、何も望まない・・・希望しない・・

まるで修行僧のようですが、私はこの感覚が心地よいと感じています。

子供に文句やネガティブな発言も投げかけないこと・・

損得勘定で子育て、子供の教育をしないこと・・

もちろん、ちょっとした注意はいいますが。

ただただ、見守る。

子供が、子供自身の本当の道を進んでいけるように

祈るような気持ちで、ただただ、見守る・・

こんな崇高な状態をずっと保ちたいと思っているのです。

 

お母さんの生き方、在り方、崇高な人間であるために

 

野生動物などは、とても崇高な存在なのでは・・と思うことがあります。

そして、ネイティブアメリカン、インディアンなどもとても崇高であったと感じます。

それに比べて、世界中、ほとんどの方は、それよりも、世俗っぽいのかもしれません。

ほとんどの方が親になっても、親としての格が低いのかもしれないとも思っています。

もちろん、私もで、もっと崇高な位置にいる親にならなくてはと思っています。

子供は、意外にも、よく見ていて、感じていて、

もし、親が崇高な考えで、子供にいろいろなことを話すのならば、

自然と聞き入れると思うのです。

親が自分の損得勘定で、自分のエゴで、子供に強制するから、

子供は反発をすると思うのです。

子供は、親の発言の理不尽さをよく察知するものです。

子供の方があっているよ・・・よくあることです。

子供に、ゲームばかりしないで、勉強しなさい・・と言いながら、

お母さんは、いつも携帯を見ているのです。

こんな理不尽さを子供はよく見ているのです。

子供を怒らないお母さんになりたい、

子供にいつもやさしいお母さんになりたい、

本当はそう思っているのですが、なかなかできない現実があります。

しかし、怒ってしまう時というのは、時間がなくてイライライしていたり、

何か他の人を気にして、そのようになってしまう場合が多いものです。

自分だけの中で、静かにとどまっていれば、そんなことはないはずなのです。

そんな意味でも、すべてを手放すこと、手離すことです。

他人の声や、よくある意見なども手放すことです。

お母さん自身も自分を大事にして、自分自身の中に安らぐことです。

お母さんが自ら、自分を信じて、自分の中に安らぐとき、

崇高な気持ちが芽生えてきます。

子供を静かに見守ることができるようになります。

子供の人生は、そのままで、ありのままでいい・・

そして、お母さんの人生も、静かにそのままでありのままでいいのです。

世間のワッサワッサしたことを手放していきましょう。

静かな生活、生き方、在り方の中こそ、崇高な生き方のはじまりが

あると思っています。