最初のアメリカ人(先住民族)は謙虚な自尊心を持っていた。
その性格にも教えにも霊的にも傲慢さは見られなかった。
言葉をみごとにあやつるものは語らぬ被造物より優れている、
などと考えたりはしなかった。
それどころか、それはわざわいをもたらす才能と思われていた。
最初のアメリカ人は沈黙を深く信じていた。
沈黙は完全な平衡のあかしであるから。
沈黙とは、体と精神と魂が完璧な釣りあいをとっていることである。
自己を保っている人は、葉の一枚たりとも動かぬ木のように、小波ひとつ立たない輝く池のように、つねに静かで、実存のあらしに揺すぶられることがない。
無学な賢者の考えによれば、もしあなたがその人に「沈黙とは何か」と尋ねるならば、その人は、「沈黙とは大いなる神秘!」「聖なる沈黙はそのお方の声!」と答えるであろう。
もしあなたが「沈黙のもたらすものは」と問うならば、その人は、「自己抑制、真の勇気、堅忍不抜、尊厳、そして崇高。
「沈黙は人格にとって隅の親石である。」というであろう。・・・・・
いや・・・素晴らしいではないですか・・
ロジカルな思考とか、論理的に話すとか、・・プレゼンテーションが大事とか・・
もう、ちっぽけなもので、恥ずかしくなりますね・・
言葉をみごとにあやつることは、わざわいをもたらす才能である・・と思われていた。
これは、本質ですね。
なんども、ネイティブインディアンの言葉を読んで、良い心、崇高さを取り戻したいですね。
私たちが受けてきた教育や、子供に受けさせたい教育って、これに比べたら、何なんだ・・とも思ってしまいます。