ブログを書くことができない、何を書いていいのか、楽しくないし・・
と思われている方も多いかと思います。
所詮、ブログは誰も読んでくれないし、読まれないものだ・・・とまず、考えてください。
でも、発信するのです。誰かひとりだけのために。誰かひとりだけ、読んでくれるのです。
そうです。100人とは結婚できないけれど、一人の人と結婚したように・・・。
ブログの書き方、カチカチした論理的な文章は書かない方が楽しい!
私は、速読する方なので、カチカチした文章、論理的に書いてある文章、スペースを空けずに続けて書いている文章などは、あまり読みません・・というか、すっ飛ばします。
はっきり言って、つまらないからです。ブログなんですから、論文を読んでいるわけではないのですから。
そのままの情景が目に浮かんでくるような、読みやすい平易な文章で書いてあるブログが好きです。書いている人も、その方が楽だと思うのです。
たぶん、ほとんどの方が、ブログなどもきちんと書かなければいけないという、先入観があると思います。それは違いまして・・
ブログこそは、論文調子ではなく、もっとその方の意見がわかるように、平易な文章で、分かりやすいのが良いと思うのです。
へ・・このかたの意見はこんな感じなんだ・・また、読みたいな・・・
こんな感じが良いと思うのです。そのためには、自分に素直になることが大事で、自分の意見や思い、考えを簡単に表現していけばよいのです。
有名ブロガー、ライターなどのまねをしなくてもよい。オリジナルな表現をした方が楽しい!
有名なブロガーの方、ライターの方が書いていることを読むと、すごいな・・と思うことがよくあります。こんな風に自分は書くことはできないな・・などよくあります。
しかし、自分でブログを書く場合は、有名な方の真似をする必要もなく、ライターの方のように書く必要もありません。
真似をして、同じように書くのは、つまらないことです。もう、誰かが書いているのですから。
もっと、オリジナルな文章、表現の仕方で、自分なりに書いてみるのが良いと思います。
芸能人の方のブログなどは、ひとことで、写真だけが載っているものもありますよね・・。
ブログは音楽のように、流れるように、文章を書くことが楽しみになれば、最高のツールになる!
私の場合ですが、ブログの文章が、読んでいて、音楽のように流れるように、そして、ものすごく速い速度で書くことを楽しんでいます。
ですので、てにをは・・・などが、よく間違える場合も多いです。ものすごい勢いで書いていますので。中国人か・・みたいな、表現になることも多いです。
しかし、速く書けば書くほど、マラソンのランナーハイのように、ブログライティングハイ??みたいな感じになって、ドンドン書けるようになります。なんでも慣れだと思う所以です。
文章などは、音楽のように、流れるように、あと、五七調などもいいと思うんですよね・・。
書いていて、自分の身体もよくなっていく感じがします。
ブログセラピーというものも、こういうところがポイントだと思うのです。
自分から出てくる言葉・・・は、自分の言霊であることなのかもしれません・・。
言葉は、単なるツールである。その奥にある、気持ち、心を大切に。
私は、いろいろな言語を学んできて、そして、言語と脳についても少し学んだりしてきて、そして、
子育てをしてきて、子供が喋ることができるようになった瞬間などを見てきて、息子が外国語をマスターしていく様子などを見てきて、
親が病気になって、言葉が話せなくなるのを見てきて・・・
そして結論として考えるのですが、言葉なんて、単なる記号である・・・
その中でも、日本語はかなり優秀で、気持ちを情緒的に表現できるツールであるので、日本人として生まれてきたこと・・日本語が母国語であることに感謝していますが、
そして、こうして、日本語でブログを書くことができることに、本当に喜びを感じていますが、
言葉なんて、単なるツールである・・。
大切なのは、その言葉の裏にある、言い表せない、表現できない思い、想い、心、気持ち、意識・・・そこだと思うのです。
だから、察する・・ということがわかる日本の文化は素晴らしい。察することができないで、わざわざ表現しなければいけない文化の方が、一段下だと思うのです。
言葉で言い表せない所に・・・真実がある・・。
子供を育てるときにも、これがわかっていないと、子供へ本当の愛情を贈ることができないわけです。
西洋人などは、愛情不足の方が多い。大人でも、爪をよく噛んでいる方が多いことでよくわかります。察する文化がないからです。
そんな点においては、子供時代から、論理的思考とか、考えることの大切さとか・・・より、
言葉では表現できない何かを掴むこと・・それは、親の愛情をたくさん受け止めて、その中で夢の中のように育っていくことが大切で、その時代が長ければ長いほど、将来的に大きな、豊かな花が咲くと思うのです。
そう考えると、シュタイナー教育などが目指していること、ルドルフ・シュタイナーが言っていること、ミヒャエルエンデなどが言っていることが正しいような気がするのです。