私は現在、自由に生きる、枠を外して生きるという壮大なテーマを持って進んでいるのですが、何歳になっても、どんな人でも、自分豊かにする希望を頭の中で描くことができる自由が大事だと、今現在とらえています。
しかし、多くの方に囚われのようなものがあり、いつも邪魔していることを観察しています。
その囚われ、枠のようなものは、いつ身につけてしまったのか?と考えてみると、やはり、子供時代からの教育環境や、親から受け継いだ価値観、家庭環境に行き当たるのです。
囚われや制限を取り除きたい
小さい頃、子供時代は、私はこんなことがしたい!、大きくなったら・・したい!と自由に言えたのに、大人になるとそんなことも言えなくなる環境があります。
自由な希望などを言葉にしようものなら、失笑というより冷笑されてしまう環境さえあります。この冷笑している人こそ、実はこの世の中の犠牲者で、そんなことはできるはずない!と一番囚われている人なのです。
そんなことはできない、それはできない・・という罠にはまっている方が非常に多い現状です。
囚われというのは、お金、家族環境、立場などの条件で、これしかできない!という制限ができてしまいます。
不思議なことに、私の場合は、結婚したら、制限ができた、囚われの環境ができたな・・と感じました。独身時代は、親からの囚われも少しあったのかな・・と思い、結婚したら、自由になるのかなと思ったら、結婚をして、幸せなのに、制限を感じるものだなと思ったのです。
すべてが主人の経済力の範囲での活動に制限されますので、できる限り、この枠を広げようと、ぐいぐいと広げて来た思いもあります。
子供が誕生すると、安全で安定した巣作りのためにも、ある程度の枠も必要だなとも思いましたが、子供の環境も枠の中に囚われているだけではいけないなとも感じました。
ほとんどの方は、安全と安心の中で、枠の囚われの犠牲に目をつぶり、安泰を求めているのです。
安全と安心の中で育つ子供も、この囚われのようなものに反抗して、親に反抗をするのだろうな・・と感じています。
安全とか安心、安泰などは、本当はどこにもないのだ・・と親が先に悟ることが大事なのかなと最近思っています。
親が子供に投げかける言葉で一番無意味な言葉は、『 ちゃんと勉強しなさい! 』よくあるこの言葉で、ここで問題なのが、ちゃんと・・って何? 勉強って何? 学校の点数を取ることが大事なのか? 試験に合格をすることが大事なのか?ということなのです。
それより、親が1つでもいいから、人生を生き抜くための大切なことを教えた方がいいのかなと思います。結局、人生勝っても、負けても、(勝ち負けではないけれど) 同じところにたどり着くとかね・・もうすでに、人生は決まっているよ・・とかね・・。
そして、ちゃんと・・と発言する親こそ、ちゃんとがわかっていなくて、何を子供に伝えたら良いのかわかっていないものですし、子供にとって学校の学びの何が大事なのかもわかっていない場合が多いのです。
息子に聞いてみたのです。ちゃんと勉強しなさい! って言われたらどうする? すると、そんなこと聞いたことないけど、無視する・・と言っていました。 そして、それは、机の前にすわれ! っていうことじゃない?とも言っていました。(つまり、親の命令を聞け・・っていうことですね・・・・)
日本で多くの方が求めているものは?
私も以前は、日本でよりよい生活を作り上げようと思って来たので、日本の多くの方が求めているものがよくわかります。それは冒険心とか希望ではないのです。
持ち家、車を持ち、ある程度貯蓄も増やし、子供の教育もエリートコースのレールに乗せて、両親、義理両親にも親孝行をしてうまく進めて。。とにかく、うまくすすめたい・・
これすべてうまく進めている方はいるのかな?とも思います。子供の進学がうまく行かなかったり、親の介護問題なども発生している方も多いのかなと思います。
外面的には、良さそうに、うまく行っているように見せかけなければいけないという日本の現状もありますね。
多くの方が人様に恥ずかしくないような・・という、外面を繕うところに、焦点がいきがちなのです。
うまくいっているように繕いたい、これこそが、囚われであり、制限であると思うのです。
つまり、簡単にいうと、失敗を怖がっているのです。失敗というのは、この世の中にないと思っていて、成功への段階の1つであるのに、できる、できない・・とすぐに白黒をつけてしまうという、日本の教育の悪い点がみごとにでてきてしまっています。
また、よくツイッターなどで観察できる点は、人の欠点を指摘して、人の足を引っ張るというやり方です。人の欠点を指摘することで、自分が優位に立ったような気がするのでしょうね・・。よく見ている人は、そんなことも見ていて、そんな程度の人だな・・と思うと思いますね。
本当にできる人というのは、相手の欠点を指摘しないものだからです。誰にも欠点がありますので、重箱の隅をつくことこそ、日本の教育の悪い点がもたらしたものだなと思っています。ツイッターなどで憂さ晴らしをしたいという傲慢さがなんとも言えず波動が悪いとも思っています。これは、日本の会社のブラック企業、日本の学校での部活動のいじめなども、感情の根幹は同じだと見ています。
日本の固定観念、枠を飛び越えて・・
結局、日本人が多く持っている感情、固定観念はどこから来るのだろう?と思って見てみると、日本は多くの方が唯物論であるということに行き着くと思うのです。
唯物論・・つまり、ものが中心であること、お金が中心の世界がどっかりと居座っているからです。これは、戦後、もっと前から、もう骨抜きにされてしまって来たな・・とも思っています。
人の感情や思いはそれぞれであり、人に対して尊厳をもつ、Integrity is Everything! こんな考え方が完全に欠如していると思うのです。
多くの方が、人を上下で見ていて、人のステータスによって、態度を七変化させる方も多いのです。こんな雰囲気をみると、なんともあさましい、この方と同じ世界には住みたくないと思ってしまいます。けれど、日本のエリート系の集団の中には多いのかも・・とも思いますが・・。残念ながら、子供に高い教育を受けさせたいと思うと、このような集団には入らざるを得ないかも・・という現状もあるのかも・・。
希望を自由に描いて、それを実現させること
私はどんな年齢になっても、希望を自由に描いて、それを必ず実現させることができることを実証していきたいと思っています。
実現させること・・といっても、とても広い範囲で、臨機応変で囚われがない感じでとらえて行こうと思っているのです。いつでも自分は自由だな・・と思うことができればいいなと思います。
一生懸命していることは、意外にも、思いもよらないところで、ちょっと違った角度で捉える場所で実を結ぶ・・のような内容を語っている方もいました。
多くの方が達成主義だと思うのです。持ち家のローンを完了させること、子供を大学まで卒業させること、家の財産をきちんと管理すること・・など・・。
しかし、持ち家のローンが完了しても、自然災害などで崩壊するかもしれませんし、子供も親の願いとは反対の方面にいくかもしれませんし、銀行の崩壊で財産も紙切れになってしまうかもしれないのです。
現在、自分が抱えている大切なもの、所有物がゼロになったとしたら、どうしますか?
最後に残るのは、希望を描く自由・・だけなのかもしれません。そしてそれを実現させるために進むことだけが、大切だと思っているのです。