お母さんは、夕食を作る人ではない、手抜き料理がおすすめな3つの理由

お母さんというのは、あたりまえのように料理をする人・・

になってしまっています。

日本では、料理を作らないと、手抜き料理・・とまで言われる始末。

私は、この手抜き料理・・という言葉が好きではありません。

反対に、手抜き料理であるくらい・・こそが、ベストでは・・と思うのです。

お母さんは、夕食を作る人ではないのです。そして、手抜き料理がおすすめな

3つの理由を書いていこうと思います。

お母さんは夕食を作る人ではない。手抜き料理がおすすめな理由 その1 東南アジア、中国では、奥様はマダムである!

 

1991年から1993年ごろまで、インドネシアのジャカルタに住んでおりましたが、

インドネシアでは、普通の家でさえも、お手伝いさんが数人います。

料理を担当する人、その他家事をする人、ベビーシッターをする人、車の運転ドライバーです。

そうすると、お母さん、奥様は何をするの?という疑問がわいてきますね。

奥様、お母さんのお仕事はといえば、マダムで、綺麗にしていることなのです!

(インドネシアも民主化してその後、変化したかもしれないですが・・)

また、聞いたところによると、中国でのワーキングマザーは、仕事から帰宅すると

ソファーでくつろぐことが大切で、ご主人さまは、はずかしくて、

学歴やキャリアのある女性に、料理を作らせたり、家事をさせたりなど

できないそうです。

これ・・・日本の男性・・聞いていますでしょうか・・ぜひ、ご主人さまに伝えてくださいね!

ところが、日本の状況はどうでしょうか・・。

ワーキングマザーでさえも、忙しく、仕事の後で、子供を迎えにいき、

それから、夕食の支度をしている方がほとんどです。

時短料理とか、時間の節約とか・・が話題になります。

その前に、そんなことをする必要がないよ・・それは無理ですよ・・

となってくれればいいなと思います。

お母さんは、マダムであって、夕食を作る人ではなく、手抜き料理はあたりまえというか、

ワーキングマザーは、夕食を作る必要がない、または、ちょっとでいいのです。

 

お母さんは夕食を作る人ではない。手抜き料理がおすすめな理由 その2 ドイツの夕食は、火を使わない、寝る前はそんなに食べる必要がない

 

現在、ドイツのベルリン在住ですが、ドイツ人は、夕食は、火を使わない料理ですませることがほとんどです。

パンにチーズとハムをはさんで・・そして、白ワインとおつまみ・・など。

日本のお母さんのように、ごはん、お味噌汁、炒め物、・・など、

ドイツでは、夕食準備にて、コンロを同時に2つ、3つなど使うことはないのです。

ですので、夕方、6時、7時でも公園でのんびりしていますし、

オープンカフェで白ワインと軽食で終わり・・というパターンも多いそうです。

理由としては、寝る前なので、夕食は軽めでいいそうです。

ドイツでは、昼食をしっかりと食べるのです。

ドイツ流の夕食には、火を使わないというのを日本でも取り入れたら、

お母さんたちは、随分と楽になるのではないでしょうか・・。

火を使わないというか、ご飯とお漬物だけでいいですよ。

それとも、ご飯とお味噌汁だけでいいですよ。

日本の男性が、ご飯と味噌汁と・・それに豚の生姜焼き・・などを

当たり前のように要求するところが、問題なのです!!

豚の生姜焼きでさえ、面倒なので、できません・・・というか、

作りたくないのです、お母さんたちの本音は・・。

この証拠として、日本にいるとき、お母さんたちは、よく、

今日は、主人が出張なので、夕食作りがなくて、楽だわ・・・と

どんだけ・・聞いたことか・・・ということなのです。

そして、そして、ドイツ親子留学している方も、

日本より楽です・・・夕食が簡単でいいので・・と聞きましたよ・・。

 

お母さんは夕食を作る人ではない。手抜き料理がおすすめな理由 その3 少食こそが健康的であり、今の時代に必要であるから

 

1日1食の人もいるくらいですので、それは、極端だとしても、

あ、不食の人もいる時代ですが。。これは、ちょっと・・だとしても、

ほとんどの方が、食べすぎでは・・という状態だと思います。

成長期の子供、ティーン時代ならともかく、大人がそんなに

食べる必要もなく、働いているお父さんたちも、夕食などは、控えた方が

今後長生きができると思うのです。

少食こそが、健康的ではないでしょうか・・。

ですので、お母さんが無理して、夕食を作る必要もないと思うのです。

夕食は簡単にすませる、ちょっと切って並べるくらいのものでいいですよね。

簡単にといっても、冷凍食品やお惣菜を購入はお勧めできませんが・・。

ご飯・お味噌汁・梅干し・・・これで、十分であるという感覚を持ちたいものです。