自分軸を持つより、美しい世界に小さな私がいるという感覚の方が調和的で幸せに生きることができる

このごろ、自分軸という言葉が氾濫していうような気がしていました。

流行りワードが好きではないので、とても気になっていました。

自分軸、自分の考えを持つこと・・・素晴らしいことだと思います。大切なことです。

しかし、自分、自分、自分・・・を意識すると、調和的に幸せに生きていけないものなのです。

そんなに、自分が大切でしょうか?

そんなに自分が大切でしょうか・・。自分とは、ちっぽけなたわいもない存在だけです。

自分とは、私とは、美しい世界のたった一部分にすぎない・・・それだけです。

何かを成し遂げるという・・そんな大それたこともできなくて、

ただただ、誰かのために少しだけ役立っていけば・・・そんな感覚です。

自分というものは何もないのです。世界の一部なだけであって・・。

これは、家の間取りなどを考えてみるとよくわかるのです。

家の中で、長男の部屋、次男の部屋、ご主人の部屋、お母さん部屋と

それぞれが自分の個室を持つことで、分離してしまい、調和しなくなるのです。

家の中で、どんなスペースでもみんなで使って、自分のちょっとしたスペースがあるだけ・・という感覚・・。

こういう感覚だと、みんなで協力して、調和して、楽しく、ゆるやかに過ごしていけるのです。

自分ということばを、国に置き換えてみると、、国境をがっちり引いて・・・

戦争の原因にもなるのです。ここは、自分の領土だから、入るなと・・・。

自分を活かすということが、国の利益を守る・・と同じになるのです。

本当は、国も国境もなければ、もっと素敵な世界ができあがるのに・・。

そう思いませんか・・・?

自分軸などいらない

自分軸などいらないのです。

ゆるゆるで、臨機応変で、どんなことでも変化できる、緩やかな自分があればいいのです。

もちろん、惑わされたり、流されたりしないことは、前提にあります。

軸というより、もっと柔軟で、アメーバのような感じで・・。

自分というものさえ、手放してみると、結構、ラクになるものです。

なんて、自分、自分と固執していたのか・・と。

どんな意見でさえも、へえ・・と受け入れればいいし、その人、それぞれだし、

正解など、どこにもないし、流れていく時間、毎日の中で、それなりに動いているだけです。

自分軸を手放して、もっと変幻自在な自分になってみるのも、

色々と発想転換ができるヒントになるのかもしれません。