我が家は、早期教育を実践してきました。
胎教からはじめて、0歳、1歳、2歳、3歳など、幼稚園に入学するまで
家庭保育園のメイン教材に基づいて、ある程度ですが、やってきました。
感想はといえば、良かったのかな半分と、早期教育いらないかも半分です。
早期教育を後悔する理由。他の才能があったのかも?
胎教から意識的に、早期教育をしてきまして、特にこれからの時代は、
数字に強い方がいいのでは・・という思いがありましたので、
家庭保育園のドッツを中心に早期教育をしたのです。
ドッツとは、0から100までの赤い丸を赤ちゃんに見せる方式です。
数の感覚を直感で感じさせる教材です。
(私がそんなに数字には強くないため・・)
狙い通り、子供は、最初に話した言葉が数字の5であり・・ということで、
数字の大好きな子供になりまして、その後もそろばんなどでもその影響なのか、
とても早いスピードで、上達していきました。
しかし、今となっては、もし、ドッツなどの教材を使わなければ、
もっと他の自然な才能があったのかな???という思いがあるのです。
作為的なことをしてしまい、良かったのだろうか??と思う点です。
それとも、どっちみち、同じなのかな・・など、わからないものですね。
今となって思うことは、自然にしておいた方が、面白かったのでは・・と思うのです。
反省している点は、子供が生まれたことで、子供への期待がなかったといえば、
うそになりますので、いや・・かなりあったはずです、時代もそんな流れですし・・
ということで、無意識に、子供が赤ちゃんのときに、親の期待を
子供に投げかけてしまったのでは・・ということなのです。
今では、子供に期待をしてはいけないと、身体を貫通するように
理解していますので、子供が小さい時代に、期待をしてしまったこと、
教育ママゴン風であったことを猛省、反省して、現在を過ごしております。
赤ちゃんのときに、ありのまま・・で見ることについては、
かなりできていなかったのかも・・・という反省があります。
ありのままをみていたら、もっと他の才能があったのかも・・
ということが後悔する点です。
早期教育を後悔するからこそ、ありのままを見て子供を育てること
家庭保育園で非常に良かった点は、
3歳までは、集団にいれてはいけないなど、大切なお手紙通信などが
あったことです。
これは、かなり重要で、我が家は、3歳までは、集団にいれずに、
毎日大切に、誰にもあづけずに、家で育てました。
あとは、ミトコンドリアが狂うので、アレルギー食品や
生の魚、エビ、そばなども10歳まで、食べてはいけない・・という内容も
非常に良かったような気がします。
人間の大腸も10歳すぎて、完成するそうですね。
人間の脳も10歳で完成するので、大腸が第2の脳である・・
ということもドンピシャですね。
しかし、作為的な知的教材などは、どうなのかな・・と
疑問視するところです。
もちろん、幼児時代の英語の教材などは、まったく不要だと思いますし、
DVDやCDなどもいらないな・・と振り返って、いらないと思っています。
子供にとっては、うるさいだけで、脳が錯乱するだけですね。
日本の子供さんは、ドイツの子供に比べてうるさい・・と
感じるのは、多くの子供がDVDやCDを聞いて育ったからでは??
と思うこともあります。
携帯電話やPCなどは、問題外ですね・・。電磁波でやられます。
今となって思うことは、
子供はありのままで、静かに、作為的な教材を使わずに、
7歳まで夢の中・・・という本があったような気がしますが・・
そんな感じで育てるのがいいのだと思っています。
自然なものに触れて、知育教材なしがいいのでは・・と
今となっては思うのです。
あとは、お母さん、お父さんの価値観がそのまま
子供さんの心に影響をしていくので、
親の在り方ですね。
親の欲が強いと、実際に子供の顔に出てきちゃいますね・・。
いや・・本当に・・。
早期教育を後悔するが、日本の社会から鑑みるに、これでよかったのかも・・という思いも・・
本質的には、早期教育をしてしまったことを後悔していますが、
今の日本の社会の現状から考えると、ある程度早期教育をして、
子供の教育を早めに進めてきて、よかったと思う点も多いのです。
もっと子供をゆっくり育てて・・が理想ですが、
今思うに、ゆっくりしていると、日本の雰囲気にあわない・・ということです。
例えば、現在住んでいるドイツならば、子供の成長はゆっくり・・でも合うのです。
子供が生まれた頃は、やはり、それなりの雰囲気を感じて
行動してきたので、それもアリだったのかな・・と今になって思います。
思うことは、もっと人を気にしない社会、競争などもしない社会、
人それぞれ個性があるので、それなりでいい・・という雰囲気があるならば、
子育てのお母さんたちも、もっと楽になるのに・・とよく思うのです。